創価学会、またも教義を大幅に改変!

◆はじめに

創価学会は、令和5年11月18日に『創価学会教学要綱』(※以下『学会要綱』と略称)という、創価学会の教義を示した本を、同年月の15日に逝去した池田名誉会長の監修として出版しました。

学会は、日蓮正宗より破門されて以降、総本山第26世日寛上人御書写の御本尊を加工・縮小コピーした「ニセ本尊」発行に始まり、何度も教義を改変してきましたが、今回の『学会要綱』では、信仰の根幹教義を、またも大幅に改変しました。

前回の改変は、平成26年11月7日の「創価学会会則」の教義条項の変更で、これによって、創価学会員の拝む本尊は、創価学会が独自に認定すると規定しました。

また、これに伴い、原田会長は、

「弘安2年の御本尊(※本門戒壇の大御本尊)は受持の対象にはいたしません」

(聖教新聞 平成26年11月8日付)

と、末法の御本仏宗祖日蓮大聖人の出世の御本懐である本門戒壇の大御本尊への信仰を放棄しました。

そして今回の更なる改変です。今回、創価学会が出版した『学会要綱』には、

  1. 「大御本尊に特別な意義はない」
  2. 「大聖人は釈尊の使いであり、釈尊よりも勝れる根本の仏(久遠元初の御本仏)ではない」
  3. 「現代の僧宝は創価学会である」

といった、根本教義の大幅な変更が行われています。

そもそも皆さまは、創価学会がこうした教義の改変を行ったことや、その内容をご存知なのでしょうか?

現在の創価学会は、牧口初代会長のもとに発足し、日蓮正宗の御本尊と教義を受持信仰して総本山大石寺を外護してきた昔の創価学会とは、まったく別の団体になっています。

それでも皆さまは、創価学会について行かれますか?

① 大御本尊に特別な意義はない!?

皆さまは、大御本尊への信仰を捨てますか?

『学会要綱』では、

「『戒壇の本尊』を特別な御本尊であるとする解釈は、大聖人の御書にも日興上人の著作類にも見られない説である」(要綱150㌻)

と述べています。しかし日蓮大聖人は『聖人御難事』に、

「仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に、出世の本懐を遂げ給ふ(中略)余は二十七年(※弘安二年)なり」

と仰せられ、日興上人も『日興跡条々事』に、

「日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を相伝す」

と定められています。

このように、本門戒壇の大御本尊は大聖人が出世の本懐として顕された特別な御本尊であることは明らかです。

そして、この大御本尊は、今日に至るまで、大石寺の歴代の御法主上人によって相伝・厳護されています。

この尊厳なる歴史的事実の前に、創価学会の「大聖人の御書にも日興上人の著作類にも見られない説」との邪難は全く成立しません。

皆さまは、これまでの会長の指導を否定するのですか?

かつて牧口初代会長は、

「大石寺に伝へられる大御本尊を信じ奉る者が正しい信者である」

(牧口常三郎全集10巻151㌻)

と指導し、また戸田二代会長も、

「ほかの本尊、どこのを拝んでも絶対にだめなのです。弘安二年の十月十二日の大御本尊様から出発したものでなければ、法脈が切れてますから、絶対だめなのです」

(戸田城聖先生講演集下巻112㌻)

と、大聖人の仏法は大御本尊を離れては絶対にだめであると学会員に指導してきました。

さらに池田会長も、

「大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本であることは、これからも少しも変わらない」

(聖教新聞 平成5年9月19日付)

と、大御本尊が信心の根本であると指導していました。

しかも、この池田会長の指導は、驚くことに創価学会が日蓮正宗から破門された後のものです!

現在の創価学会は、自分たちが永遠の師匠と仰ぐ三代の会長の指導を無視し、組織の運営に都合が悪くなったという理由で大御本尊を否定したのです。

② 大聖人は釈尊の使いであり、釈尊よりも勝れる根本の仏ではない(=久遠元初の御本仏ではない)!?

皆さまは、大聖人への信仰を捨てて、釈尊を本仏と仰ぐのですか?

『学会要綱』では

「『法華経』は過去も現在も、そして未来もまた、釈尊こそがこの娑婆世界の衆生の救済者であるとする」

(要綱28㌻)

「大聖人は(中略)釈尊から滅後悪世の弘通を託された地涌の菩薩、なかんずくその筆頭である上行菩薩としての役割を果たす立場」

(要綱43㌻)

と主張しています。

しかし、皆様もよくご存知のとおり、日蓮大聖人は、釈尊よりもはるか昔の久遠元初に南無妙法蓮華経を悟られた根本の仏として末法にご誕生された御本仏です。

それは大聖人ご自身が『下山御消息』に、

「教主釈尊より大事なる行者」

また『百六箇抄』に、

「久遠名字已来本因本果の主、本地自受用報身の垂迹上行菩薩の再誕、本門の大師日蓮」

との仰せからも明らかです。

しかし、今回、創価学会は、あくまでも釈尊が中心(=本仏)であり、大聖人はその使いでしかない、と主張したのです。

しかも最近の創価学会では、

「日蓮大聖人も『拝む対象』ではない」

(Soka youth media)

「釈尊も大聖人も(中略)上下・勝劣関係にあるものではない」

(聖教新聞HP 男子部教学室論考)

と、大聖人の御書を拝読し、また大聖人が顕された御本尊(※ただし現在、学会員の殆どが拝んでいる総本山第26世日寛上人御書写の御本尊を加工・縮小コピーした本尊はニセ本尊)を拝んでいる人達の発言とは到底思えない主張をして、明確に大聖人への信仰を捨てています。

かつて戸田二代会長は、

「南無妙法蓮華経とは久遠元初の自受用報身如来、日蓮とはその久遠元初の自受用報身如来と同じ方です」

(戸田城聖全集2巻38㌻)

と指導し、また池田会長も、

「もし大聖人が単なる釈迦仏の使いであるとすれば、釈迦仏法の力が消滅する末法の世に出現されても、何の意味もない」

(大白蓮華 昭和52年11月号22㌻)

と、大聖人は久遠元初の自受用報身(=御本仏)であり、釈尊の使いではないと指導しています。

これらの指導に反し、今回の『学会要綱』では、大聖人を貶め、かつて創価学会が破折してきた日蓮宗と同じ、釈尊を根本とする「釈尊本仏義」を主張しているのです。

つまり『学会要綱』に記された教義は、創価学会がこれまで信仰してきた、釈尊は迹仏(権りの仏)、日蓮大聖人は御本仏と拝する信仰を全否定するものなのです。

皆さまも、現在の創価学会のように、末法の御本仏宗祖日蓮大聖人への信仰を捨てるのでしょうか?

③ 現代の僧宝は創価学会である!?

皆さまは、学会がまたも三宝を改変したことを知っていますか?

日蓮正宗の三宝は、仏宝「久遠元初の御本仏日蓮大聖人」、法宝「本門戒壇の大御本尊」、僧宝「第二祖日興上人」です。また大聖人以来の血脈を相承される御歴代上人も、その御内証において僧宝です。これが大石寺開創以来、不変の三宝です。

今回の『学会要綱』で創価学会が示した新たな三宝は、

「仏宝は日蓮大聖人、法宝は一大秘法の『南無妙法蓮華経』、僧宝は創価学会としている」

(要綱156㌻)

というものです。

三宝の中でも、僧宝を今回、何と在家教団の創価学会であるとし、日興上人を尊崇の対象(=僧宝)から排除したことは、驚くべき改変だと言えましょう。

そもそも創価学会は、平成3年に日蓮正宗から破門されて以降、節操なく二転三転と、信仰の根幹である三宝を改変してきました。

この破門後における三宝改変は、ひとえに我こそが仏法の主体者と思い上がる池田会長の大慢心と不信謗法に源を発するのであり、これが今日の学会変貌の元凶をなしていることを知らなければなりません。

しかも、今回、僧宝から日興上人を排除した一方で、現在、創価学会では勤行の「祈念文」において、

「日興上人に南無し、報恩感謝申し上げます」

と祈念するように定めています。

毎日の勤行では日興上人に南無・帰依すべきことを祈念させておきながら、教義上は日興上人を僧宝から排除した訳ですから、創価学会の信仰は支離滅裂なものと言えます。

日蓮大聖人の仏法の一切を相承されたのは日興上人ただお一人です。それゆえ、今まで創価学会も、日興上人を僧宝の随一と仰いでいました。それを今回、相承もなき創価学会を僧宝へと祭り上げたのですから、無理にも程があります。

皆さまは、「創価学会仏」なる仏(?)を信仰できますか?

『学会要綱』では、

「戸田先生は、末法の御本仏である日蓮大聖人に直結し、仏の使命である広宣流布を成し遂げている創価学会という組織を、象徴的に『仏』として捉え、未来の経典に『創価学会仏』と記されるであろうと展望した」

(要綱155㌻)

と述べていますが、そもそも、「組織を象徴的に仏」とする宗団など、いまだかつて聞いたことがありません。

しかも「創価学会仏」なる語は、戸田二代会長の講演集などに一切見られないのです。

大聖人は『聖愚問答抄』に、三毒強盛の凡夫を直ちに仏と詐る禅宗に対して、

「謂己均仏(己は仏に均〈ひと〉しと謂う)の大慢を成せり」

と破折されています。

今や創価学会は生きながらえるために、御書や経典にない「創価学会仏」なる偽仏を立てて、組織の神格化に走っているのです。

◆おわりに

元々創価学会は、大石寺に相伝される日蓮大聖人の教義のもと、総本山大石寺を外護し、日蓮大聖人の仏法を正しく広宣流布するために、昭和5年に発足した、日蓮正宗の一信徒団体でした。

それは戸田二代会長が、創価学会が宗教法人を取得するにあたり、日蓮正宗に対して遵守を約束した、

  1. 折伏した人は信徒として各寺院に所属させること。
  2. 当山の教義を守ること。
  3. 三宝(仏・法・僧)を守ること」
(聖教新聞 昭和26年12月20日)

という三箇条にも明らかです。

ところが、現在の創価学会は、発足当時の存立基盤ともいうべき三箇条を自らの手で破棄し、現在の学会にとって都合の悪い教義の改変を重ね、ついには、これまで尊崇の対象としてきた日蓮正宗の三宝をことごとく捨て去りました。

特に、今回、創価学会が僧宝を創価学会という一組織に変更したこと、また「創価学会仏」なる御書にもない偽仏を会則に明記したところを見ますと、早晩、「創価学会」という組織への信仰を皆さまに強いる日が来ることでしょう。

さらに、『学会要綱』の、

「大聖人御自身が顕された御本尊と、それを書写した御本尊は、すべて根本の法である『南無妙法蓮華経』を具現されたものであり、等しく『本門の本尊』である」

(要綱150㌻)

との記述から推測しますと、いよいよ、本門戒壇の大御本尊とは全く無関係な本尊を創出し、その本尊への取り替えを皆さまに求めてくるのではないでしょうか。

いずれにしましても、創価学会は令和12年に創立百周年を迎えますが、創立から100年も経たないうちに、信仰の根幹である三宝をはじめ、多くの教義がめまぐるしく変容したのです。これこそが創価学会が間違った宗教団体であることの何よりの証拠だと言えます。

対して日蓮正宗は、700有余年を経た現在も、大聖人の教義を毫も違えていません。それは、大聖人が『四恩抄』に、

「仏宝・法宝は必ず僧によて住す」

と示され、また日興上人が『日興遺誡置文』に、

「当門流に於ては御抄を心肝に染め極理を師伝して」

と定められているように、総本山大石寺に伝わる本門戒壇の大御本尊と日興上人以来の血脈法水に基づく信仰を貫いているからに他なりません。またそれゆえ、下種三宝の御威光は、これよりも末法万年尽未来際にわたり、日蓮正宗総本山大石寺に燦然と輝き続けるのです。

皆さまが、自ら犯さなくとも三宝破壊の創価学会に身を置く謗法与同を続ける限り、大聖人が『光日上人御返事』に、

「経と仏と僧との三宝誹謗の大科によて、現生には此の国に修羅道を移し、後生には無間地獄へ行き給ふべし」

と仰せの、そしりを免れることはできません。

皆さまが現創価学会の誤りに気付かれ、日蓮大聖人の正しい信仰に立ち返られますことを念願します。

以上

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